思いを伝えること

今日のgood & new

今日はFUNスタのPトレに参加してきた。
いつも会う仲間や、コミュではよくコメントをしあっている仲間に会えて楽しかった。
ぼくのコミュ名「スマイル」を見つけると、「あぁー、スマイルさんですね」と声をかけてくれる仲間もいて嬉しい。
イラストを投稿したり、ギターの弾き語りを投稿していてよかったと思う。

今日の内容は「想いを伝える」がテーマだった。
人に自分の考えを伝えることは難しい。
正しいと思っている枠組みの中で、当たり前にわかってくれるだろうと思って話しても、伝わらないことがよくわかった。
特に、共通言語が異なっている場合、伝えることとも、読み解くことも困難だと思った。
これは哲学の構造主義でいう、コードとコンテクストの違いであろう。
例えば、誰もが同じ認識ができる「1」という数字はコードに近い概念であるのに対し、「今日の気持ちはブルーだ」などその国や地域によって文脈を読み取らないとわからない概念がコンテクストだ。
ぼくは、この世の中はこのコードとコンテクストがグラデーションのようにつながっていると思っている。
たとえばコード0からコンテクスト100までとすると、50:50とか10:90とか。
だから、コードに近い言葉で話し合っているときは、ほぼ誤解がないけれど、それぞれの思いや気持ち(つまりコンテクスト)で話していると認識違いが起こるのだと思う。

もっと噛み砕いていうと、男性脳と女性脳は発達の方法が違っていたという。
男性は狩猟を効率的に行わないといけないので、ダイレクトで直接的で解決的な表現が得意だ。
対して、村に残されて集団で自分達を守らないといけなかった女性は、相手に共感したり気持ちを読み取ることが得意だ。
それぞれ違った正義を持ちながら、コンテクストの強い要求や要望をすると、良かれと思って行う行動が全く反対の意味にとらえられてしまう。
その小さな誤解が蓄積していって、改善できない大きな溝になってしまうのだと思う。
それは、まじめな夫婦であればあるほど、溝は大きくなっていく。

今では、妻の言いたかったことや充して欲しかったことがなんとなく理解ができる。
だけど、残念ながら、ぼくたちは後戻りができないくらい、周りの人間を巻き込んで、お金もいっぱい使って離れてしまっている。
結果的には、別れ別れになってしまうのかもしれないけれど、これからのぼくの妻への対応によっては、関係性が良くなりながら離婚を選択できるかもしれない。
なんでもっと前に気づいてあげられなかったんだろうという後悔と、この別居の状態にならなければ、ぼくは気づかなかったかもしれないという2つの矛盾した考えが浮かんだ。

今日ぼくが選んだPは「Positive」。
今年は妻との関係を解消し、新しい出会いや習い事や仕事を選んでいきたいと思った。
エスペ、会場を用意してくれた仲間、ぼくを暖かく受けて入れてくれた仲間、どうもありがとう。
エスペ、気をつけて帰ってください。
また、次の出会いまで楽しみにしています。
ぼくの成長を見守ってください。
ありがとうございました。