ブッタも外の社会の苦しみを見て、出家を志した

今日のgood & new

昨日コロナ予防ワクチンを打って、腕がますます痛く感じていた。
さらに、一昨日の山登りで足腰が筋肉痛で、体調があまり良くなかった。
朝早く起きて、朝食を取ったあと、しばらく横になっていた。
スーパーに買い出しに行って、昼食を取ってからまたしばらく横になっていた。
ウトウトしていたら、あっという間に夕方近くになってしまった。
こんなダラダラした生活が好きだ。
起きてから、明日からの弁当に仕込みと、今日の夕飯の準備をした。
夕飯は鳥の手羽先を漬け込んで、焼いて食べた。

こんなダラダラした1日もよいものだと思いはじめたのは、妻が出て行ってからだと思う。
妻が出ていかなければ、ゆっくり休むことに罪悪感を感じていた。
自分に大きなショックや心が動く出来事が起きないと気づかないこともある。

仏教を開いたブッタは、元の名をシッダールタといい、地方の王様の息子だった。
彼は将来、王様の後継になるよう教育されていた皇太子であった。
だから、外の世界はわからず、人が死ぬことや病気になることさえも教えてもらえなかった。
さらに彼は、赤ん坊の頃に母親が亡くなったので、母性を感じることなく育った。
しかし、王様の計らいで、嫁も用意され、子供までも産まれ育てることができた。
何不自由なく生きてきた青年のブッタが何故、出家して修行の道に進んだのか。
それは、青年になってはじめて屋敷の外に出てみた光景にショックを受けたからだ。
外では人が病気で苦しんでいたり、道端で老人が死んでいたりしていた。
それをみて、ブッタは病老死というどうにもならない苦がなぜあるのか、疑問を持った。
それも、今まで大切に育てられたブッタにとっては相当なショックだったのだと思う。
そして、大事な妻子までも捨てて、修行の道に進んでしまうのである。

ブッタだけでなく、僕たちもショックを受ける出来事にぶつかると、知りたいとか学びたいとか助かりたいという気持ちが生まれてくると思う。
ぼくもこの歳になるまで、いろいろ経験してきたが、妻子が突然出て行ってしまったというほどの経験はなかったのだと思う。
だから、うつ症状が出て会社を休職したり、死にたくなって親にまで助けを求めるようになったのだと思う。
でも、だからぼくは自分がどう生きていけばいいか知りたくなって、学びはじめた。
いろいろな場所に行ったり、オンラインでfunスタに参加したり、人と会って話をした。
妻が出ていく前の自分とは、明らかに人生観が変わったと思う。
今までは、その場の問題、例えば職場を変えたいとか、車を買い替えたいとか直接的な悩みに苦しんでいた。
今は、幸せとは何かとか、生きていくためにはどうすればいいのか、のような目に見えない悩みに苦しんでいる。
そして、その悩みについて、貪欲に学ぼうとしている。

休みがあって、自由に時間が使えて、しかも暖かい部屋と食事があることが幸せなことだと思えるようになったのも、妻たちのおかげかもしれない。

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