キリスト教の教えと、仏教の教えを連続して体験した時の違和感

今日のgood & new

今日は在宅勤務の日だった。
自分の小さな書斎にこもって、昨日から続けている作業に没頭した。
リビングにタブレットなどの端末を置いてあるので、誘惑がなく仕事に集中できる。
最近、ライトニング用のオーディオ接続ケーブルを買ったので、ヘッドホンをしながら机に向かっている。

好きな曲やラジオを聴きながら作業をしていると、さらに集中できる。
このケーブルは買って正解だった。
仕事が楽しく感じるようになる。

夜はACグループのミーティングに参加してきた。
グループのルールみたいなものがあり、それを守りながら自分がアディクションから解放されていくという内容を学んだ。
ぼくはほとんど全て守れていなかったので、少し罪悪感を感じてしまった。
でも、無理にやりたくないことをやって、ミーティグングに出ていきたくなくなったら本末転倒なので、あえてそれでもいいと自分を許してみた。

少し早めに早退して、家に帰ってからオンラインの10分座禅会に参加した。
ここでは、制約がある方が、自由を感じられるという話が聞けた。
また、いろんな人格が自分の中にあってもそれは多重人格なのではなく、それぞれが同時に存在していて、だからこそ葛藤があったり、迷いがあるのだから、それでもいいのだという話を聞いた。
ACグループは欧米が発祥だから、キリスト教の影響を受けて、禁欲的で子供的だ。
それに対して、10分座禅会は仏教が発祥だから、どちらかというと自由で大人な考え方だと思う。
ダブルヘッダーで連続して参加しているからこそ、感じられる違和感だった。
今のぼくはどちらかというと、仏教の教えの方が自分の中にスッと入ってきやすく、さらに科学的な幸せの探究に興味がある。
いろんな学びを経験して、自分に合った、そして納得できる幸せを探していきたい。