(別居生活を継続中)人はなぜ寂しさを感じるのだろう?(在宅勤務で気づいたこと)

今日のgood & new

今日は、壊れた食洗機を治してくれるパナソニックのカスタマーの人が来てくれた。
キッチン周りカウンタートップは綺麗に磨き、生ゴミは捨てておいた。
肝心の食洗機の中のゴミを捨てるのを忘れて、慌てて切に掃除した。
(その間、カスタマーの人はキッチンの前で待ってくれていた☺️)
食洗機が動く音を聞くだけで、モーターが壊れているとわかったようだ。
水漏れなどはなかったようだ。
それだけで、安心した。
さらに、新しい部品もすでに用意していた。
すばらしい対応力だ。
キッチンの下に潜り込んで数十分で故障した部品を交換してくれた。
動かしてみると、確かに1ヶ月前から大きな音がしていた食洗機が、静かになった。
すぐに修理費用を計算してくれて、クレジットカードで支払いを済ませた。
なにからなにまで、スムーズだ。
「今日は何件回るんですか」と聞いてみたら「キャンセルが出たので8件です。馬車馬のように働いてます」と笑って答えていた。
単価が3万円くらいだとすると、30万円弱を1日で稼いでいるんだと感心した。
何より困った人を助けてあげて、感謝される仕事なので、やりがいもあるのだろう。
この1週間食洗機が使えなくて、毎日夜になると溜まった洗い物をするのが億劫になっていた。
洗い物があると思うだけで、食洗機の便利さを知った人間にとっては不安がつのっていた。
お世辞なしに、カスタマーの人に感謝した。

人はなぜ寂しさを感じるのだろう

その後は、在宅勤務を続けた。
会議もなく一人で仕事をしていた。
小学生が帰ってくる頃になると、子供に会えない寂しさを感じてしまう。
なんで、寂しくなってしまうんだろうと思いながら、仕事をしていた。
人は必ず一人になって死んでいく。
親や子供、結婚相手、友達や同僚はいても、やっぱり人は一人で生きているんだ。
孤独になれというわけではない。
一人で生きていることを普通に思えば、寂しく感じることも無くなるだろう。
誰かと繋がっている、誰かと会う、誰かと一緒にいることを諦めれることが大切なんだと思う。
他人への情は、人への執着にもなってしまうのだ。
一人で淡々と生きていき、与えられた温情は感謝する。
自分は自立して孤高に生きていき、そんな中で他の人との関わり合いを大切にしていけばいいのだと思う。
これから妻との関係はどうなっていくかはわからない。
子供と会えるかもわからない。
寂しいことは認めながら、少しづつ他人への執着を手放して行きたいと思う。

⭐️ぼくはついている
⭐️なんとかなる
⭐️ありがとう