
環境を変えようとするより、行動した方が幸せには近づく
これら幸せにつながる行動は自分でも選択できるし、4割もの向上期待ができるのである。 だから、幸せになりたければ、遺伝子や他人や環境などを変えることは諦めて、どうしたら幸せになれるようになるか、行動をしていくことが大切だ。
日々のgood&newを求めて
これら幸せにつながる行動は自分でも選択できるし、4割もの向上期待ができるのである。 だから、幸せになりたければ、遺伝子や他人や環境などを変えることは諦めて、どうしたら幸せになれるようになるか、行動をしていくことが大切だ。
人は問題や出来事が起こると、昔の記憶の中にあるデーターベースから似たような事例を引っ張り出してくる。 それも無意識に、しかも自動的に頭から出力されてくる。 そして引き出された情報をもとに、感情が動いて身体の状態が変化してくる。 悪い情報を引っ張ってくれば、悪い体の状態になるし、よい情報を引っ張ってくれば良い状態になる。 悪い状態で行動に出れば、自分にとって不都合な状況に陥る。
人には悲観論者と楽観論者がいる。 これは割とはっきりどちらかに分かれることが多く、両方の性質を持つ人はあまり周りにいない。 ぼくはどちらかというと、悲観論者だ。 幸せというキーワードで考えると、楽観論者の方が有利だ。
50代になってからは、時間配分が大事だと思う。 なにに時間を使って、なにに時間を使わないか。 本当は家族に一番時間を使いたいが、幸か不幸か、今ぼくは妻と子供と別居中だ。 ならば、今できることこは何か、何がしたいのか、ギリギリまで無駄なことを削ぎ落として、取捨選択していきたい。
知恵は誰にでも持ち合わせている能力だと思う。 人が生きていく過程において、いろいろなことを経験し、特に中年期に特有の人生の危機を経験すると知恵は高まるのだと思う。 そして、知恵が高まれば、生きやすくなり、ひいては幸せを感じやすくなるのだろうと思う。
20代の若い人は、現状の生活満足度はそこそこ高いが、将来の満足予想が中年より高い。 つまり、今はまだうまくいっていない状況でも将来はもっと良くなっていると感じているらしい。 逆にいうと、将来の満足度が予想よりも高くならないので、自分の人生に幻滅をしはじめる。 そして、その幻滅が積み重なっていくと、40代後半くらいから現状の生活満足度は人生で一番低くなる。
欲を手放すことが幸せに進むことができることもわかってきた。 ただし、頭ではわかってきたが、まだまだ感情の部分では捨て切ることができない時もある。 すこしづつ手放すことを学んで、幸せに一歩一歩進みながら過ごせていければいいなと思う。
人は中年になると幸せを感じる気持ちが下がるらしい。 生まれた時から歳をとるにつれて、生活の満足度は下がっていき、40代中期から50代初期が底となって、また高齢者になるにつれ上がっていくという。
気持ちがイライラすることもなく、幸せな感情で過ごすことができた。 嫌な気持ちを持たずに過ごすことは、「幸せの流れ」につながることができる。
掃除の方法は以下だ。 雑巾で水拭きをする。 お湯ではダメらしい、水で雑巾を濡らしてから拭き始める。 拭く場所は、玄関、トイレ、廊下の床だけでいいらしい。 リビングとか寝室とかは必要ない。