
ブッタも外の社会の苦しみを見て、出家を志した
妻が出ていく前の自分とは、明らかに人生観が変わったと思う。 今までは、その場の問題、例えば職場を変えたいとか、車を買い替えたいとか直接的な悩みに苦しんでいた。 今は、幸せとは何かとか、生きていくためにはどうすればいいのか、のような目に見えない悩みに苦しんでいる。 そして、その悩みについて、貪欲に学ぼうとしている。
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妻が出ていく前の自分とは、明らかに人生観が変わったと思う。 今までは、その場の問題、例えば職場を変えたいとか、車を買い替えたいとか直接的な悩みに苦しんでいた。 今は、幸せとは何かとか、生きていくためにはどうすればいいのか、のような目に見えない悩みに苦しんでいる。 そして、その悩みについて、貪欲に学ぼうとしている。
本を読むと、過去は変えられるようだ。 過去は自分の記憶の感情に入っているから、気持ち次第でその感じ方は変わる。 イライラしていれば、いやな過去の記憶となるし、楽しい気持ちなら明るい記憶になる。 だから、「今」をいかに楽しむかで過去の記憶は変えられる。
従わせようとすると、両方とも相手のエネルギーを奪う。 そしてお互い不幸せになる。 幸せになるには、相手のエネルギーを奪わず、愛を与えることだ。 何故、怒鳴ったり、同情をひこうとするかというと、自分の中におそれがあるからだ。
幸せのメカニズムで考えると、そこそこの満足で納得できるといいらしい。 すべてがすべて、自分の思い通りにならないと気になったり、完全を目指すとなかなか幸せにはなれない。 これを「なんとかなる指向」という性格に名付けてみる。 このなんとかなると割り切れるまでは、悩んで悩んで神経が擦り切れる経験をする。
人は突然死んでしまうこともある。 だから、自分のやりたいことをやり、自分が成長していく姿を追い求めていかないと後悔すると思う。 やりたいことなんか、なんでもいい。
日本では幸せを、「し合わせ」と書いたらしい。 何かと何かがぶつかって起こる出来事。 だから、べつに「しあわせ」は良い出来事だけではなかったのだ。 英語ではHappyという。 しかしこのHappuには短絡的な幸福と長期的な幸福の二種類の意味があるらしい。 だから、外国の人は全てhappyになりたいかというとそうでもなくて、ドラッグやお酒で得る楽しみをほしいわけではないらしい。