50歳からの円熟した幸せな感覚とは

今日のgood & new

今日は有給休暇を取ってゆっくりすごした。
朝は遅めに起きて、朝食を取って、YOUTUBEなんかを見ながらのんびりした。
しばらくイラストを描いたりして過ごしていたら、毎日続けている玄関とトイレの床掃除をするのを忘れていたことに気づいて、朝ではないけどやりこなした。
これは浅見帆帆子さんがYOUTUBEで提唱していた、即効性のある開運ルーチンだ。
残念ながらまだこれが効果だ!!と思われる幸運な出来事はないが、もう少し続けてみたい。
午後は散歩がてらいつもの図書館に行った。
平日だったので、行ってすぐに勉強室のブースを借りることができた。
ぼくはのんびり本を読んだり、イラストを書いたりしていた。
休日の昼間に勉強したり、PCで何かを打ち込んでいたりする人が多かった。
比較的歳が若い人が多かったので、浪人生や何かの国家試験などの勉強をしていたんだと思う。
フリーランスが図書館でPCを使って仕事をしているようにも見えた。

20年代と50年代の将来の幸せへの期待のギャップ

「ハピネス・カーブ」によると、現状の生活満足度と5年後の将来の満足度予想を分析が載っていた。


20代の若い人は、現状の生活満足度はそこそこ高いが、将来の満足予想が中年より高い。
つまり、今はまだうまくいっていない状況でも将来はもっと良くなっていると感じているらしい。
逆にいうと、将来の満足度が予想よりも高くならないので、自分の人生に幻滅をしはじめる。
そして、その幻滅が積み重なっていくと、40代後半くらいから現状の生活満足度は人生で一番低くなる。
しかし、50代前半くらいには将来の満足度予想も低くなっているので、幻滅は大きくない。
数々の失敗や挫折を経て、自分の人生設計に過度な期待を持たなくなるのだろう。
そして、50代前半から現状の生活満足度が上がっていき、将来の満足度予想を逆転していく。
中年を境に、将来に大きな期待をせず、現状の生活に満足する円熟した人生機にいたる。

(「ハピネス・カーブ 」P141より)

図書館で見た野心あふれる熱気と人生を達観した中年の姿

ぼくが今日、図書館でみた若者には、見えない野心のようなオーラが見えいていた。
それは、今の自分とは違う、新しい人生を見据えた熱気のようなものかもしれない。
そして、その中に人生のどん底に浸っている中年が黙々とイラストを描いている。
人生の縮図のようにも感じられた。
ぼくはこれからどんな人生を送っていくんだろう。
まだまだ、やりたいことはある。
人と比べることに意味がないことは知っているし、時間が問題を解消してくれることも気づきはじめた。
50にしてやっと若者から円熟した中年に到達したのかもしれない。
熱気の帯びた図書館の勉強室に入ったからこそ感じられた実感である。
早く妻との離婚問題を解決して、穏やかな自分らしい生活を満足したいと思う。