一流より三流の方が人生が楽しい(サラリーマンには有利)

今日のgood & new

最近、安田登さんの「三流のすすめ」という本を読んでいる。
人には、何かの分野で一流になる人と三流になる人がいる。
三流と言っても、よく世間で言われる出来の悪い人のことではない。
ひとつのことに精通していくのではなく、いろんなことに興味を持って行動する人のことを示している。
好奇心旺盛で、多芸なタイプで、しかし飽きっぽくもあって一つのことに人生をささげられない人といえばわかりやすいだろうか。
安田さんはこのタイプで、中国の漢語に興味を持って教員になったり、オーケストラの曲を作ったり、NASAから設計図を入手してハンググライダーを作ったり、バンドをしたりしていたらしい。
本業は能のバイプレイヤーだ。
多芸なだけでなく、東洋とわずいろいろなことに詳しい。
中国の三国志時代に活躍した劉劭という人が書いた人物論には、一つのことしか専門がない人を一流、2つ持っていると二流、3つ全て持っていると3流と呼ばれるそうだ。
国を任せられる人、国体は三流の人ではないといけないと結論づけている。
三流の人はそれぞれの分野の矛盾を抱えながら、政治を行っていける大事な人だ。

ぼくはギターを弾いたり、絵を描いたり、ブログを書いたり、走るのも好きだ。
しかし、子供の頃から人よりも秀でた特技がなかった。
文系でもあるし、体育会系でもある。
仕事でも、専門分野の設計はやらせてもらえず、営業をしたり、本社で営業所の支援をしたり、数年ごとに部署が変わり、職種が変わった。
いまでは一番得意な仕事の分野は?と聞かれることが一番恐ろしい。
この本を読んで、少し勇気づけられた。
一流でなくても、いろんなことができる器用貧乏でも幸せになれるんだということを知った。
むしろ、ぼくはいろんなことをやっていって、ユーティリティプレイヤーになって行った方が自分の強みを出せるのかもしれない。
企業は歯車の集合体だ。
一つの歯車がなくなったり壊れたら、補充をしなければならない。
だから、サラリーマンの理想像はどのポジションもできる人材が多ければ多いほど、人が抜けた時に対応しやすい。
それに、趣味も一つだけだと、スランプになった時に悩んでしまうが、幾つも持っていれば、気分転換にやりたいことを楽しめることができる。
だからぼくは、このブログは毎日書くことをやめた。
ある日は絵を描き、ある日はギターを弾き、ある日はゲームをやり、ある日はブログを書く。
いろんなことをすると、インプットが増え、ブログを書くときのアウトプットの質も上がると思う。
しかも、いろいろなことができる多趣味な人間にもなれる。
そんな自分でもいいんだと、認めるようになった。
おかげで、毎日が楽しいし、暇な時間でも、いろんな趣味のことを考えられるので、飽きがない。
そんな人生でもいいのかもしれない。

⭐️ぼくはついている
⭐️なんとかなる
⭐️ありがとう